桑名城址
2008年9月訪問
現在は九華公園として整備されている地が桑名城の跡地。東と北に木曽三川の揖斐川が流れ天然の要害となっている。戦国時代、桑名三城と呼ばれる伊藤武左衛門の東城、樋口内蔵の西城、矢部右馬允の三崎城が桑名の地にあった。この内、1513(永正10)年に伊藤武左衛門が築城した東城が桑名城の原型とされる。
関が原の戦いの後、1601(慶長6)年に徳川四天王の一人本多忠勝が初代桑名藩主として桑名に入ると、町割りと築城を開始。3年後には本丸・二ノ丸・三ノ丸・新城・内堀を完成させた。当時の桑名城には4層6重の天守閣、51基の櫓、46基の多聞櫓があったという。この築城には井伊直政も加わったという。
1617(元和3)年、松平(久松)隠岐守定勝が桑名藩主となると吉ノ丸を、1635(寛永12)年に松平(久松)越中守定綱が桑名藩主となると外朝日丸・外堀・元赤須賀・伊賀町・八幡町・新屋敷などを整えた。なお、4層6重の天守閣は残念ながら1701(元禄14)年の火災によって延焼し現在は天守台のみとなっている。
幕末の戊辰戦争では無血開城。官軍によって辰巳櫓が焼き払われた。更に、1875(明治8)年に城郭は取り壊され、1928(昭和3)年に本丸・二ノ丸一帯が九華公園として整備された。