今川氏

今川氏は足利義兼の孫・吉良長氏の次男・国氏が三河国幡豆郡今川庄を領したことに始まる。 吉良家と今川家は吉良長氏を同一の祖とする同じ足利一門ということになる。 今川家と吉良家は、後々、三河を舞台にして微妙な関係に陥るが、その起源は今川家の発祥の時に遡ると言える。 今川家発展の基礎は範国(1295[永仁3]年−1384年6月8日[元中元年/至徳元年5月19日])の代に築かれた。

歴代事績
今川範国1336年遠州守護職に任ぜられる。続いて駿河守護職に任ぜられる。
1353年駿河守護職と家督を子の今川範氏に譲る。
今川範氏1316年(正和5年)- 1365年5月21日(正平20年/貞治4年4月30日))
今川泰範1334年(建武元年)? − 1409年11月3日(応永16年9月26日)?
1378年室町幕府将軍・足利義満より侍所頭人に任ぜられる。
1391年明徳の乱に幕府軍として参陣。
1399年応永の乱に幕府軍として参陣。
今川範政1364年(正平19年/貞治3年)−1433年6月14日(永享5年5月27日)
1416年上杉禅秀の乱勃発。犬懸上杉氏憲(禅秀)の攻撃によって鎌倉を逃亡してきた鎌倉公方・足利持氏を保護する。
室町幕府将軍・足利義持の命により上杉房方とともに鎌倉を平定。
1432年鎌倉公方を牽制するために、富士山遊覧をした室町幕府将軍・足利義教を饗応。
1433年末子・千代秋丸と嫡男・今川範忠の間で家督を巡る争いが生じる中没す。


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