勝間田
遠江国勝間田庄を発祥の地とする国人一族。氏祖高景は平維遠の12代孫行久に養われ遠江国勝間田を領有したとされる。また、平良文流の桓武平氏の流れを汲むとも、清和源氏支流とも言われる。あるいは、藤原南家工藤流か。鎌倉幕府御家人として活躍。室町幕府草創時には勝間田高景が足利高氏に従い伊勢国安濃郡長野に入部。一部はその地に留まり分部氏の祖となった。勝間田氏の嫡流は応永の乱(1399)で今川氏と対立、今川義忠の猛攻の前に文明8(1476)年に滅亡した。遠江守勝間田正利は遠江国城飼郡勝間田と内田両郷を領して、その子正之は内田を称したとされる。その子孫は下総小見川藩主家に繋がる。家紋は丸に三引、庵に木瓜、光引龍。