小山

鎮守府将軍藤原秀郷の子の千常の流れを汲む一族。下野国を中心として勢力を張った。なお、藤原秀郷は平安時代中期の人物であるも生没年不詳。下野大掾村雄と下野掾鹿島の女との間に生を受ける。延喜16(916)年に一族17名とともに配流。その後、天慶3(940)年に押領使として平将門を討ち取り、従四位下に叙任、続いて下野守に任命される。秀郷は、田原に居住したことによって俵(田原)藤太とも呼ばれた。中央貴族とは一線を画し、下野国に勢力を広げる。そのために、佐野、(藤原姓)足利、小山、結城などの名門一族を輩出した。