加々爪氏
清和源氏今川氏流_武蔵国高坂藩主家。
今川範政の養子となって加々爪を名乗ったという。加々爪政豊は桶狭間の戦いの後も今川氏真に仕えていたが、徳川家康が永禄11(1568)年に遠江に進出した時点で徳川の旗下に入った。慶長元(1596)年に家康上洛に供奉した政尚は地震の為に伏見で圧死。家督は嫡子忠澄に。忠澄は秀忠の寵愛を受け、大目付にまで昇る。その子の直澄は武蔵国高坂藩1万石を得るも勤務不行届として改易された。家紋は竹の丸に舞雀。
名と歴史 by N.T.
今川範政の養子となって加々爪を名乗ったという。加々爪政豊は桶狭間の戦いの後も今川氏真に仕えていたが、徳川家康が永禄11(1568)年に遠江に進出した時点で徳川の旗下に入った。慶長元(1596)年に家康上洛に供奉した政尚は地震の為に伏見で圧死。家督は嫡子忠澄に。忠澄は秀忠の寵愛を受け、大目付にまで昇る。その子の直澄は武蔵国高坂藩1万石を得るも勤務不行届として改易された。家紋は竹の丸に舞雀。