竜造寺氏_藤原氏高木氏流
「龍造寺というと、弘治・永禄年間(1555〜70)に九州で大友・有馬と覇を競った一族だね。というよりも、鍋島家との関係のほうが有名かな」
「弘治・永禄年間の時点では、龍造寺一族は大内・毛利連合軍側、大友・有馬連合軍は少弐氏再興を大義として臨戦状態といったところね」
「龍造寺はもともと少弐氏の配下だよね。少弐と大内の争いで少弐一族方横岳、筑紫、朝日諸氏が大内に寝返ったときも少弐についている」
「そうね。天文3(1534)年に少弐資元が大内軍によって敗死させられた後も、少弐・千葉・龍造寺三家体制を確立して少弐氏の跡を狙う有馬晴純に対抗しようとしているわ」
「その龍造寺氏がなぜ大内侵攻軍陣営に着くことになるのかな」
「このあたりが少し複雑よね。多久で大内軍に破れた少弐資元の子の冬尚(ふゆひさ)が一旦は大友義鑑の庇護を乞うのだけれど、結局は水ヶ江龍造寺の家兼を頼るのね。そして、執権に家兼の子の家門を任命するの。ここで問題は江上元種と馬場頼周(よりちか)を補佐としたことね」
「前後するけど、それは少弐・千葉・龍造寺三家体制を確立する前だね」
「そう。そして、このモザイク連合が一気に崩壊するのよ」
「龍造寺一門滅亡の危機に瀕すという、あれだね」
「馬場頼周が冬尚が有馬と松浦党に働きかけて挙兵させ、龍造寺氏を誘き出して討ち取るという凄まじい戦いが行われるのよ。この戦いで、龍造寺一族はほぼ壊滅してしまう」
「かろうじて、家兼こと剛忠が鍋島清久に助けられて戻ることができて、一族を危機に追いやった馬場頼周を討ち取っているんだね」
「ここで、いよいよ五州の太守龍造寺隆信の登場ね。戦死した周家の子の隆信、当時は胤信といったけど、この胤信が剛忠の跡を継ぎ水ヶ江龍造寺家の当主となるの。でもね、龍造寺の本家は大内方で肥前守護代に任命されていた村中龍造寺家でしょ」
「そこで、運命の女神が胤信に微笑む」
「村中家当主の胤栄(たねひで)が病死。胤信がその妻を迎えて総領家となるのね。水ヶ江龍造寺は村中龍造寺とは違って少弐方だったけど、その少弐に族滅させられそうになったわけで、何の躊躇もないわね」
「これだけでも劇的だけどまだ龍造寺家の支配は安泰とは言えないよね。頼みの大内義隆が配下の陶隆房に討ち取られるでしょ」
「毛利元就が台頭する契機となる戦ね。この混乱に乗じて、大友義鎮(よししげ)が龍造寺鑑兼に叛乱を起こさせるのよ」
「加えて、再興を願う少弐冬尚が舞い戻って龍造寺家と対峙するんだね」
「結局のところ、龍造寺鑑兼は追放され、胤信が基盤を固めることになるわけ」
「そして、弘治・永禄年間以降に龍造寺胤信は冬尚を討ち、攻め入る大友を肥前から駆逐し、大村氏、諫早西郷氏を服属させ、」
「大友宗麟(義鎮)が島津義久に耳川合戦で敗北すると筑前の一部を攻め取って、『歴代鎮西要略』にいう『旗下に属し、その指揮に従う兵馬20万騎に及ぶ』と称される五州の太守となるのよ」
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