植村氏_上総国勝浦藩主家
植村泰忠
左京、安養院、土佐守。
父親である泰職が天文5(1536)年に亡くなったため、大叔父の凰来寺二位法印教圓に養育される。安養院と号したのは同寺の薬師別当となったことによる。
元亀3(1572)年に武田信玄が信濃から遠江に侵攻し、徳川家康が三方原で迎え撃った三方原合戦に従軍。戦功によって遠江榛原郡に領地を得る。その際に還俗して植村土佐守と称した。
天正18(1590)年の小田原攻めでは親戚である本多忠政とともに武蔵国岩槻城を攻撃している。そして、その功によって徳川家康から上総国夷隅郡に3000石を賜る。これが勝浦藩の始まりとなる。
植村泰勝
帯刀、従五位下。
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの前哨戦で本多忠勝に従軍し岐阜城を攻略、関ヶ原の戦いでも戦功を挙げる。父、泰忠とともに勝浦に住み、家康の後、秀忠に仕えた。
植村泰朝
左京、土佐守、長門守、帯刀、従五位下。

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寛永十一年(1634)勝浦城主植村泰勝が死去した時、勝浦城内にあった浄林寺をここに移し、泰勝の幼名覚翁丸をとって出水山覚翁寺としたとの由来を持つ覚翁寺にある植村家累代の墓。