平群臣 孝元天皇の流れである武内宿禰が始祖とされる。
大和国平群地方が本拠地とされる。
履中天皇2(401)年10月には木菟が国政に携わるようになり、
さらに雄略天皇の御代に入ると木菟の子である真鳥が葛城氏に取って代わり、
「大臣」に就き国政を執るようになる。
しかし仁賢天皇崩御後の仁賢天皇11(498)年11月11日、
皇太子・小泊瀬稚鷦鷯尊(のちの武烈天皇)は大伴金村に命じて、
真鳥とその子・鮪を暗殺。ここに平群氏はその勢いを失う。
天武天皇13(684)年10月1日、『八色の姓』により、
「朝臣」姓を下賜され官人の道を進むがやがて衰退していく。
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