東芝

工部省電信寮製機所は日本の様々な電機会社の揺籃の地だった。東芝の前身である白熱舎は明治23(1890)年に設立されているが、その創業者の一人である三吉正一(山口県岩国)は電信寮の出身。白熱舎の今一人の創業者は工部大学校教授の藤岡市助(山口県岩国)。白熱舎は、この二人によって東京は京橋槍屋町に設立された。彼は凌雲閣に20人乗りエレベーターを造ったことや晩年に東京・大阪間の高速鉄道建設計画を立てたことでも知られている。残念ながら高速鉄道計画は不許可になっている。
白熱舎の経営は1898年に三吉から藤岡にバトンタッチ。企業名も白熱舎から東京電気に改める(明治32年)。この東京電気が東芝の源流の一つとなっている。
今ひとつの源流は、カラクリ儀右衛門として知られる田中久重の経営する珍器製造所。この珍器製造所は後に田中製造所となり、やがて三井家の手に渡り芝浦製作所となっている。ちなみに、この田中久重の養子である田中大吉は電信寮に勤めた経歴を持っている他、沖電気の創業者である沖牙太郎(広島)は電信寮時代に田中のもとへ出向している。この三井の傘下に入った芝浦製作所と東京電気が昭和14(1939)年に合併し東京芝浦電気株式会社が発足。この東京芝浦電気株式会社が1984年に東芝に改称している。

This page is powered by Blogger. Isn't yours?