memo鹿児島硫黄島

鹿児島港からフェリーで約3時間。往路と復路で隔日。硫黄島は平家物語で描かれた鬼界ヵ島だとされる場所。1177年に京都東山の鹿ケ谷で平 康頼、藤原成経、俊寛は平家政権打倒の計画を練る。しかし、仲間の源行綱の密告によって捕縛。鬼界ヵ島に流された。平 康頼は信濃守頼季の子で、後白河院の近臣。墓は野間大坊にある。それはともかく、康頼と成経は鬼界ヵ島で千本の卒塔婆を作って海に流した。このうちの1本が厳島に流れ着いたという。これを知った平 清盛は、高倉天皇の中宮(建礼門院)徳子の安産祈願という理由で恩赦を行い、成経と康頼を赦した。ところが、俊寛は留め置かれた。そして、侍童の有王が鬼界ヶ島を訪れ娘からの手紙を目にした後、死を覚悟し断食の末に死んだという。俊寛は陰謀の首謀者ではなく、誘われて参加したとされるが、平家方は首謀者と見なしていたらしい。

後日談がある。平家は壇ノ浦で海の藻屑と消えた。建礼門院徳子の子の安徳天皇もこの時水底に沈んだという。しかし、実は鬼界ヵ島に逃れたという伝説があるとか。鬼界ヵ島には黒木御所跡があり、安徳天皇の子孫の長浜家が存続しているという。

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