第八代徳川吉宗
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 貞享元年10月21日(1684年11月17日) |
死没 | 寛延4年6月20日(1751年7月12日) |
改名 | 松平源六、頼久、頼方、徳川吉宗 |
別名 | 新之助、米将軍、八木将軍 |
戒名 | 有徳院殿贈正一位大相国(法号) |
墓所 | 東叡山寛永寺円頓院 |
官位 | 従四位下右近衛権少将兼主税頭、従三位左近衛権中将 参議、権中納言、正二位内大臣兼右近衛大将、右大臣 贈正一位太政大臣 |
在位 | 江戸幕府征夷大将軍 享保元年(1716年)8月13日 - 延享2年(1745年)9月25日 |
藩 | 越前国葛野藩主→紀伊国紀州藩主 |
氏族 | 徳川氏(紀州徳川家→徳川将軍家) |
父母 | 父:徳川光貞、母:巨勢利清の娘・浄円院 |
兄弟 | 綱教、次郎吉、頼職、吉宗、他 |
妻 | 正室:伏見宮貞致親王の娘・寛徳院(真宮理子女王) 側室:大久保忠直の娘・深徳院、 竹本正長の娘・本徳院、 谷口正次の娘・深心院、 稲葉定清の娘・覚樹院、おさめ、お咲、他 |
子 | 家重、宗武、源三、宗尹、芳姫 養女:利根姫(伊達宗村室)、竹姫(島津継豊室) 猶子:尊胤入道親王 |