映画史

2001デヴィッド・リンチマルホランド・ドライブ宮崎駿『千と千尋の神隠し』

| 2000 |

1997ユーセフ・シャヒーン『炎のアンダルシア

| 1996 | 1998 | 1999 |

1995ポール・ヴァーホーヴェン『ショーガール
1994クシシュトフ・キェシロフスキ『トリコロール三部作 青の愛 | 白の愛 | 赤の愛 』、クエンティン・タランティーノレザボア・ドックス
1993北野武ソナチネ
1992クリント・イーストウッド『許されざる者』、ティム・バートン『バットマン・リターンズ
1991ジェームズ・キャメロン『ターミネーター2

| 1990 |

1989ジョン・ウー『狼 男達の挽歌・最終章』、ホウ・シャオシェン『悲情城市
1988ロバート・ゼメキス『ロジャー・ラビット

| 1987 |

1986ストローブ・ユレイ『エンペドクレスの死

| 1985 |

1984セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

| 1983 |

1982リドリー・スコット『ブレードランナー

| 1981 |

1980スタンリー・キューブリック『シャイニング』、鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン
1979フランシス・コッポラ『地獄の黙示録』、ウッディ・アレン『マンハッタン

| 1978 |

1977ジョージ・ルーカス『スターウォーズ
1976ブライアン・デ・パルマ『キャリー
1975ステーヴン・スピルバーグ『ジョーズ
1974寺山修司『書を捨てて町へ出よう
1973ロバート・クローズ『燃えよドラゴン
1972 フランシス・F・コッポラ『ゴッドファーザー』公開。『ジョーズ』(75)、『スター・ウォーズ』(77)等のブロックバスターの嚆矢に。
アンドレー・タルコフスキー『惑星ソラリス
1971 ドン・シーゲル『ダーティハリー

| 1970 |

1967 アーサー・ペン『俺たちに明日はない』がアメリカン・ニュー・シネマの嚆矢となる。
1950's-60's フランスでヌーヴェル・ヴァーグ運動。

| 1969 | 1968 | 1967 | 1966 | 1965 | 1964 | 1963 | 1962 | 1961 | 1960 |

1964 クリスチャン・メッツ「映画-言語か言語活動か」でソシュールやロラン・バルトを受け継ぎ映画記号学が開始される。
1960 ジョナス・メカス、ジョン・カサヴェテス、ロバート・フランクが反ハリウッドのニュー・アメリカン・シネマ・グループを結成。
1950's 英国でリンゼイ・アンダーセン、カレル・ライス、トニー・リチャードソンらによるフリーシネマ運動。

| 1959 | 1958 | 1957 | 1956 | 1955 | 1954 | 1953 | 1952 | 1951 | 1950 |

1954 B級映画の代表アメリカン・リーシング・カンパニー社設立。バート・ゴードン、ロジャー・コーマンが活躍し、コッポラ、スコセッシ、ボクダノヴィッチへと繋がっていく。
1952 イーストマン・カラーの登場で1本のフィルムに3色感光可能に。
1951 第1回ベルリン映画祭開催。
1950 黒澤明『羅生門』(ヴェネチア映画祭グランプリ)。
1948 第三次東宝争議で米軍介入。東宝を逐われた映画人が50年代の独立映画プロ運動の核となる。

| 1949 | 1948 | 1947 | 1946 | 1945 | 1944 | 1943 | 1942 | 1941 | 1940 |

1946 第1回カンヌ映画祭開催。
1945 イタリア降伏とともにナチス軍がイタリア占領。そんな中で、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』によってネオリアリスモがイタリアで登場。
1941 オーソン・ウェルズ『市民ケーン』。
1937 満州映画協会設立。翌年には後に東映を築く日活多摩川の根岸寛一が理事、マキノ光雄が満映へ。

| 1939 | 1938 | 1937 | 1936 | 1935 | 1934 | 1933 | 1932 | 1931 | 1930 |

1934 ナチス映画法施行。
1932 ハーバート・T・カルマスがテクニカラー映画会社を設立。ディズニーがアニメ映画『花と木』で色彩映画の時代へ。
第1回ヴェネチア映画祭開催。
20's-30's 未来主義、ダダイズム、シュルレアリスムの影響を受けたアバンギャルド映画がフランスでは純粋映画、ドイツでは表現主義、イタリアでは未来派、ロシアではロシア・アバンギャルドとして開花。1927年に米アカデミー設立。アカデミー賞始まる。

| 1929 | 1928 | 1927 | 1926 | 1925 | 1924 | 1923 | 1922 | 1921 |

1928 S.M.エイゼンシュテイン、V.I.プドフキン、グレゴーリー・アレクサンドロフ、『トーキー宣言』。※トーキーとチャップリン
イギリスのジョン・グリアスンが帝国通商局(EMB)に入りイギリス・ドキュメンタリー映画の発表を開始。
1925 S.M.エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』公開。V.I.プドフキンらとともにモンタージュ理論を提唱、実践。
1920 フランスの映画批評家ルイ・デリュック『フォトジェニー』発表。「映画的なるもの」の探求が行われる。
1919 ドイツ表現主義映画『カルガリ博士』公開。フランスではカリガリズム(Caligarisme)として流行。

| 1919 | 1918 | 1916 | 1915 | 1903 | 1902 |

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