鮎川義介

「戸畑鋳物では日本一だが、舶用小型発動機や水道管の継手のような小さいものを造っていたのでは、会社はこれ以上発展しない、自動車エンジンの鋳物を主体として自動車関係に入るのがよい」
鮎川の言葉。
出典:自動車工業振興会編[1975]『自動車史料シリーズ2 日本自動車工業史口述記録集』自動車工業振興会。

1880.11.6-1967.2.13。

旧長州藩士鮎川弥八を父、井上馨の実姉の長女を母として山口県にて出生。母方の大叔父の井上馨の薫陶を受ける。
東京帝大工科大学卒業。芝浦製作所の見習い職工を経て渡米。この渡米時の経験が戸畑鋳物の設立に繋がる。在米工場時代に野村證券の祖、野村徳七の知己を得ている。

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