[夏王朝]
「ちょっと括り方に疑問が出たりしているけど、四大文明などという。 エジプト、メソポタミア、インダスそして中国の黄河文明。 四大文明という括り方が実はデファクトではないというのは良く言われている。しかし、まぁ、ここでは便宜的に四大文明で考えると、エジプトやインダスは文明という呼び名に相応しい独自性を備えているけど、いづれもメソポタミアからの一定の影響を間接的に受けているね」 「黄河文明は違うっていうんでしょ。 もっとも、昔は、黄河文明にも西のメソポタミア文明の影響が見て取れるという考え方も無くは無かった。 それでも、際立った独自性は否定できないわね」 「アンダーソンが唱えた仰韶の彩陶土器を西アジア、中央アジアから伝来したものだって主張するオリエント伝来説だね。それは否定されているでしょ。 で、仰韶文化期と呼ばれる彩陶土器文化の後に竜山文化と呼ばれる黒陶の文化が出現する。彩陶の場合には、メソポタミアの影響が間接的にもあるだろうというようなイメージを持つけど、竜山文化の場合は鬲とか鼎なんていう独特の三足土器が出てくる。もうこうなると中国文明独自色がいっぱいということになる。 その後で、邑と呼ばれる単位での都市国家が出現してくるわけだけど、その黄河文明の地で確認される最古の王朝は殷」 「なんだか、前置きが非常に長かったわね。 殷墟で有名な殷ね。殷を作ったのは商と呼ばれる人々だったことから商とも呼ばれるわね。現在の商人っていう言葉の起源は殷が滅亡した後に商の人々が各地に散って商売で生計を立てたことに由来するわね」 「いきなり、殷の時代を終わらせないでくれよ。 殷の前には夏王朝があったという伝説が残っている。これは、もう伝説ではなくて、実在したのだろうと考えられるようになっている。 中国の歴史の始まりは司馬遷の「史記」では伏羲、神農、燧人の神である三皇と黄帝から尭・舜に至る五帝の三皇五帝からとなっている。 黄河の治水に成功した禹が舜から功績を認められて帝位を譲渡され創設したのが夏王朝ということになっている」 「夏王朝は17代450年間の長い期間、黄河流域を統治するのよね。だけど、桀が暴政を行ったために、商を率いる湯が挙兵し鳴条(河南省)の会戦で終に打ち滅ぼされる」 「桀は現在の安徽省にある南巣で死んだって伝えられているね」
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