岩井半四郎の重の井戸 大谷鬼次の江戸兵衛
東洲斎 写楽
 喜多川歌麿と同じく蔦屋重三郎に見出された独立派の絵師。
レンブラントベラスケスと並び世界三大肖像画家と称される。その画家としての活動期間は1794年からの10ヵ月たらず。控えめな他の作風とは異なっていたために、その間に約140点に及ぶ錦絵を世に出したものの、当時は世間には評価されることはなかった。しかし、写楽の実像は謎に包まれている。
 『増補浮世絵類考』(1844年,齋藤月岑)によれば、写楽は「俗称斎藤十郎兵衛 居江戸八丁堀 阿波候の能役者也」とされる。加えて、平成10(1998)年には法光寺(越谷市)で、「辰三月七日 釈大乗院覚雲居士 八町堀地蔵橋 阿波殿御内 斎藤十良兵衛事 行年五十八歳 千住ニテ火葬」と記された文政3(1820)年の過去帳が発見されるに至り、写楽=斎藤十郎兵衛説が補強された。とはいえ、写楽の銘の入った浮世絵には画風に変化があるために、写楽別人説が根強い。