[武家諸法度]
一、 文武弓馬之道専可相嗜事。
一、 可制群飲佚遊事。
一、 背法度撃不可隠置於国々事。
一、 国々大名小名竝諸給人各相抱士卒有為叛逆殺害人告者速可追出事。
一、 自今以後国人之外不可交置他国者事。
一、 諸国居城雖為修補必可言上。況新儀之構営堅令停止事。
一、 於隣国企新儀結徒党者有之者速可致言上事。
一、 私不可締婚姻事。
一、 諸大名参観作法之事。
一、 衣裳之品不可混雑事。
一、 雑人恣不可乗輿事。
一、 諸国諸侍可被用倹約事。
一、 国守可選攻務之器用事。
右可相守此旨者也。
「武家諸法度っていうのは徳川家康が大坂夏の陣の後で金地院崇伝に起草させ公布した大名統制のための法律ね。」
「それまでは本格的な全国ベースでの法体系が律令以来途切れていたから時代を画くする法律といえるね。
内容としては戦国時代の分国法の匂いがするし、豊臣時代の各種法令の流れを汲んでいる条文が多い。
その意味では、"右大将家の例"に倣った鎌倉時代の定書と似たような性質をもっているね。」
「全部で文武・倹約の奨励、無断結婚の禁止、居城の新築や無断修築の禁止などから構成されているわね。主なものを挙げると、
2.大名は領地と江戸とで交互居住しなければいけない。江戸に来る場合は、毎年4月中とする。
これは、外様大名の場合ね。外様とはいっても対馬の守家の場合は別だけど。
3.新規築城禁止。
5.新儀、つまり謀反だけど、これを企てることは厳禁。
7.大名、近習、物頭は、幕府に無許可で結婚禁止。
14.無許可の関所設置の禁止。
15.500石積み以上の船の保有禁止。
だから、和船は西洋船に比べて見劣りがするのね。技術的な問題ではなくて法制度の問題ってことになる。
17.キリスト教禁止。
信仰の自由なんていうものは存在しなかった。 」
「それって、当初の内容ではないよね。
武家諸法度は寛永12(1635)年に公布されたけど、家康が制定したときのままでずっと15代の間改訂されなかったわけではないからね。
3代家光の時代には林羅山に命じて、参勤交代や500石船保有禁止などを追加して13条を19条にしたし、4代家綱はキリスト教禁止条項を加えた。」
「そうね。5代綱吉のときには全面改訂して、法の適用対象も大名から全ての武士に及んだのよね。」
「殉死の禁止なんかはこの5代綱吉の大改訂で盛り込まれたね。
つまりは、それまでは戦国時代の分国法の色彩が濃かったっていうことになるけど。
それで、19条あったのが15条になった。」
「6代家宣のときは新井白石によって改訂されたけど、このときはそれまでの漢文調から和文調に改められた。
なんだか、近年の刑法の改定みたいだけど。」
「賄賂の禁止が盛り込まれたのはこのときだね。
賄賂は悪いものだっていうのは現代の常識だけど、少なくとも江戸時代の初期には、外様大名の戦力を削ぐための一つの手段として賄賂が用いられていたわけで絶対悪ではなかったわけだよね。」
「せっかく和文調の分かりやすいものになったけど、8代吉宗は復古して漢文調に戻すのよね。
それから、外国船が日本近海に度々現れるようになって、13代家定が500石以上の船舶の建造を届出制にしたという改訂はあったけど15代慶喜に至るまで全面的な改訂はなかったわ。」
[Topics] 江戸時代の司法
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