秩父巡礼

[13番 旗下山 慈眼寺]


 西武秩父の駅から仲見世を抜けて御花畑の駅の手前を曲がらずに真っ直ぐ歩くと慈眼寺がある。
 札所巡りはここから始めたが、随所に案内板があるのが助かった。
 その昔、日本武尊が東征の際に、この辺りに旗を立てたという。
 旗下山という山号はこれに由来する。
 また、慈眼寺のある辺りもまた旗の下と呼ばれている。

埼玉県秩父市東町26-7

[14番 長岳山 今宮坊]


 中世、武蔵国は甲斐武田と後北条との戦場となった。秩父の地も例外ではない。
 武田軍は後北条の支配する秩父を席巻し
焼け野原とした。これを「信玄焼」という。
 そのとき、現在の今宮坊は長岳山金剛寺と呼ばれていたが戦火を免れなかったこと他に同じであった。
 秩父の地に平和が訪れたときに、現在の
観音堂が建てられたという。
 今宮坊に向かう途中には今宮神社があり、徳川家康が見とれたという伝説が残っている。

埼玉県秩父市中町25‐12

[16番 無量山 西光寺]



 境内に、四国八十八ヶ所霊場の諸仏をまつる回廊堂がある。
 また、寺に入る前の小道を右に向けて歩くと、江戸時代の道しるべがひっそりと自己主張している。

埼玉県秩父市中村町4-8-21

[17番 実正山 定林寺]

 林太郎定元が主家から追放され、困窮の中で世を去り、残された子供が預けられたのがこの寺という。
 後に、主家が遺児を取立てて、林源太良元と名づけて、領地を授け御堂を建てて定林寺としたという。
 故に、この寺をまた林寺と呼ぶ。
 この17番までは案内板に沿って順調に歩くことができた。
 何故か案内板は平行する舗道ではなくて畑の中の草道を示してはいたが。
 ところが、ここから18番神門寺に向かうときに不覚にも道に迷った。地図に頼ったのがいけなかったのかもしれない。

埼玉県秩父市桜木町21‐3