秩父巡礼(2)
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[18番 白道山 神門寺]
朝が早かったせいか途中でお腹が減る。
いい具合に焼き鳥の看板が目についた。一も二もなく2本買う。
のんびりとした旅にはこういう楽しみがある。
のんびりしたせいなのか道に迷う。何回か道を聞いて辿り付く。
神門寺はその名前に「神」が冠せられている。これは、神門寺がかつては神社であったことによるという。神社は荒れるにまかされる状態になったものの、再興を願う村人達に寺建立のお告げがあったことにより神門寺が建立されたと伝えられる。
秩父市下宮地町5‐15
[19番 飛渕山 竜石寺]
天文台のある学校の中を突っ切って秩父往還を越える。
そこには、龍石寺というが大きな一枚の岩の上に立っている。
本当に大きい。遠く宇宙を旅してきた隕石がそのまま地球に突き刺さったのではないかと思う。そういう一枚岩である。
そこに、龍石寺は鎮座している。
本尊の千手観音であり、建物は秩父の札所では一番古いとされる。
大きな一枚岩には龍が立ち上がったという伝説が残るがそれほどに面白き岩といえる。
秩父市大畑町15‐31
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[20番 法王山 岩之上堂]
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橋を超えて少し歩いたところにある。
橋の前に着いたときはもうすぐお昼という時間帯。ふと見ると端の入り口に食堂があるではないか。これはいいところにあるもんだ。というわけで、ドアに手をかけて、えいと力を込めるが、これが開かない。目を凝らすと休みとの案内。さらに、右を見るとなにやら食堂らしき建物。迷わず目指す。ところが、その食堂に見えたのはクリーニング店だった。まさに蜃気楼。
仕方なく、古ぼけた自動販売機でジュースを購入し、しばし休憩。
橋を渡りきると橋の周りをくるくるとまわる形で車道の下を潜り抜けて岩之上堂のほうへ。
このお寺、もともとは大伽藍を誇る願上寺という寺だったが、永禄の乱によって焼き払われた。その後、打田武左衛門慰政勝によって再興されたという。
その方の御子孫かどうかは確かめなかったけれども、なるほど近くには内田という表札の掲げられた家を見ることが出来る。
秩父の札所で唯一、開設以来の番付と所在地を保持する札所としても知られている。
秩父市大字寺尾2169
[21番 要光山 観音寺]
20番の岩之上堂から21番の観音寺へと至る道の途中に江戸時代からの道しるべがある。その道しるべに導かれて観音寺へと至る。
秩父の札所には行基に纏わる話が数々ある。ここもまたその一つである。
観音寺はまたの名を「矢之堂」という。これは、行基がこの地に聖観音像を安置しようとして魑魅魍魎の妨害にあったときに、白馬の八幡神が神矢によって魑魅魍魎を打ち払ったと伝えられている。
この「矢の根」は現在でも寺宝として大切にされている。
訪れたとき、賽銭箱が見当たらなかった。聞けば賽銭箱は盗まれたという。
残念なことだ。
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秩父市大字寺尾2354
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