伊香保について
[後水尾さん] 「伊香保というのはアイヌ語のイカボップやらイイカオ(好い顔)がその語源じゃぁないかという説があります。いわゆる伊香保=アイヌ生活圏説ですね。イカホップっていうのは『たぎる湯』という意味なんですね。でイイカオっていうのはかっこいいっていう意味じゃぁなくて、『好い顔』っていう意味です。でして、ですが、こうしたアイヌ語がどういうことを意味しているのか。伊香保周辺の景色を表現したものなのか諸説紛々なのですよ」
「東北や関東地方には確かにアイヌ語の地名が多く残っているっていうわね」
[後水尾さん] 「そうなんです。で兎も角、歴史はかなり古いわけです。アイヌ語の地名がついているわけですから。でもですね。そうではなくてもですよ。垂仁天皇の時代に発見されたと言い伝えられていますし、万葉集にも詠まれているのです。
それとですね、あの有名な石段はですね、天正4年には確認されているのです。それとですね、江戸時代から栄えていた記録が残っているのです」
「『子宝の湯』『婦人の湯』と呼ばれて滝沢馬琴や十返舎一九も訪れたっていう」
[後水尾さん] 「そうなんです。で兎も角、今は伊香保って言いますが、今の形っていうのか、そういうのになったのは明治22年のことなんです。この時に、伊香保、湯中子、水沢っていうですね、3つの村々が一緒になったのです。で、有名になったのはなんと言っても徳冨蘆花の著書『不如帰』の舞台となったことによるわけです」
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