英国で火蓋が切られた資本主義の発展過程. 広い意味では,いわゆる「工業化」と同じ意味を指す.「産業革命」をこの意味の「工業化」として捉える場合は,農業経済から工業経済への発展の契機として捉える. より限定的には,18世紀末に英国で起こった綿紡績業における工場制度の成立を指す. 英国の綿紡績業は,機械設備の採用によって,それまでの職人が生産過程において重要な役割を果たした手工業を駆逐した.これによって,労働者と労働手段が分離したと言われる. もっとも,産業革命は英国において単独で"突然変異的に"発生した訳では決して無い.大西洋経済の拡大・深化によって,綿布に対する国内需要が激増した.この状況下,当時,大英帝国の植民地であったインドからの綿布の輸出圧力に対して代替化を図った結果が「産業革命」であったといえる. 英国ではまだまだ本格的な産業金融は形作られていなかったものの,商業や農業で蓄積された国富が,前貸しや作業場賃貸を通じて新企業家にゆきわたる仕組みが存在していた.これを下地として,紡績におけるジェニー紡績機(1764),水力紡績機(1769),ミュール紡績機(1779)の発明,織布における力織機(1786)の発明により,英国の綿糸・綿布の生産は爆発的に増加し世界市場を制覇する. 機械化に成功した英国製品は瞬く間に世界市場を席巻し,欧米諸国を経済的に圧迫していく.英国に遅れをとった欧米諸国は遅れを取り戻すべく,国家を挙げて工業化に取り組んでいった. この結果,生じた大量の工業製品は欧米の需要のみでは支えきれず,諸国は競って世界市場争奪に乗り出していった. |