- 1989:セルビア人のリーダーのスロボダン・ミロシェビッチの政治的圧力によって,新ユーゴスラビア連邦セルビア共和国内コソボ(自治州)議会は州の自治の状態の撤廃を承認.
これに加えて,セルビア共和国政府は同共和国内コソボ自治州におけるアルバニア系住民の文化的な団体を抑圧.
- 1990:セルビア共和国政府によるコソボ(自治州)議会解散.政府のこの動きに反発し,コソボ自治州のアルバニア系議員がコソボ自治州の新ユーゴスラビア連邦からの独立を宣言.
- 1991:セルビア共和国内コソボ自治州の数万人のアルバニア系住民が失職.分離独立派が,秘密国民投票に基づき,コソボ共和国の樹立を宣言.隣国アルバニアが同共和国を承認.
- 1992:アルバニア系コソボ住民がセルビア共和国政府当局に抵抗し,イブラハム・ルコバをコソボ共和国大統領に選出,コソボ共和国議会を開催.これに対し,セルビア政府当局が大統領選出の法的無効を宣言.
- 1996:地下活動を展開するコソボ解放軍[KLA]がセルビア警官,セルビア系政府職員,およびセルビアに忠誠を誓うアルバニア系住民に対する攻撃を宣言.
- 1997:コソボ解放軍[KLA]が警察署ならびに難民キャンプに対する攻撃を宣言.コソボ自治州内の治安が急速に悪化.セルビア警察が9月,学生デモを制圧.
1998年
- 2月/3月 -- セルビア警官隊がドレニカ地方に進撃.家屋が焼かれ,村落は無人化,多くのアルバニア系住民が殺戮.コソボ自治州首都プリスティナにおいて,数万人規模の衝突が発生.西側諸国の妥協案の呼びかけにも関わらず,アルバニア系コソボ人リーダー,イブラハム・ルコバが即時独立を要求.
- 4月 --
セルビア人がコソボ自治州における国際調停を拒否.ロシアを除く,旧ユーゴスラビアに対する交渉団は,ユーゴスラビアに対して新たな制裁を科することを合意.
- 5月 -- ユーゴスラビア大統領ミロシェヴィッチがコソボ人リーダー,ルコバを平和的会談のために招待.プリスティナにおいて,交渉が開始されるが,戦闘は激化.
- 6月 -- 6月23日,米国のリチャード・ホルブリック特使がベルグラードにおいてミロシェヴィッチと会談.衝突の終結を要請.24日には,ジュニックにおいてアルバニア系司令官と会談.国連のアナン事務総長がNATOに対して,如何なる軍事侵攻においても安全保障委員会の命令を遵守するよう求める.
- 7月 -- フランスと英国が国連安全保障委員会に対して停戦合意案を提出. 7月
6日, ベルグラードの米国代理公使[the U.S. charge d'affaires in Belgrade]リチャード・ミルズとロシアの担当者が,コソボにおける自由化運動と安全保障を報告するためのコソボ外交監視団を結成.
- 8月 -- 1ヵ月に及ぶ攻防戦の後に,コソボ解放軍[KLA]のジュニックにおける基地がセルビア側の手に落ちたことにより,国連が停戦を呼びかける.
- 9月7日 -- 民主主義及び人権問題担当国務次官補John Shattuckと元上院議員Bob Doleがミロシェヴィッチ大統領に対して,コソボにおける囚人と難民に関する強い警告を伝える.
- 9月23日 -- 国連安全保障理事会[The U.N. Security Council]が決議#1199[resolution #1199]を承認(中国は棄権[abstaining]).この決議は敵対行為の停止を求めるもの.
- 9月24日 -- NATOが2つの軍事作戦計画を承認,コソボに対する軍事介入のための準備を開始.この軍事作戦のうち 1つは空爆であり,もう1つはどちらか一方が停戦に合意した場合における停戦の監視と維持を行うという内容であった.
- 9月29日 -- 国連高等難民弁務官が2月に戦闘が開始されてからコソボにおいて約20万人の市民が難民となっていると発表.
- 10月1日 -- ホワイトハウスはユーゴスラビア大統領ミロシェヴィッチに対して,停戦とセルビア軍のコソボからの撤退を求める西側諸国の要求に耳を傾けるよう警告.クリントン政権の国家安全保障チームがNATOによる軍事介入に関する議会説得を開始.国連安全保障委員会特別会合が英国政府発議によるコソボ危機を勧告.
- 10月12日 --クリントン大統領,ミロシェヴィッチが国連決議1199の完全遵守と枠組みの承認を怠っているとの声明を発表.NATOが空爆の96時間猶予を決定.
- 10月15日 -- ソラナNATO事務総長が国連決議1199を遵守するためのセルビアの行動を監視するためのNATO軍のための合意文書に署名.
- 10月16日 -- 全欧安保協力機構[OSCE;Organization for Security and Cooperation in Europe]議長Geremek,2000名から構成される確認連隊派遣に署名.
- NATOがミロシェヴィッチ大統領に対して,10月27日までに協定を遵守するように求めたコソボに関するユーゴ連邦共和国に対する期限を延長.
- 11月 -- 10月の停戦を監視するために域内に展開する国際監視団が訓練を開始.
- 12月13日 -- セルビア人側が国境において30人以上のアルバニア系住民が殺害されたと主張.
- 12月23日 -- 合衆国がユーゴ陸軍と内国警察による,コソボ自治州,ポデュエヴォ近郊における合同作戦を非難.
(1999)
- 1月16日 -- ラカクにおいて,明らかに処刑されたアルバニア系住民の遺体が発見される.国際社会はこの一般市民の虐殺を非難.
- 1月18日 -- 国際社会はユーゴスラビア外相によるOSCE監視団ウィリアム・ウォーカー特使の48時間以内の国外退去決定に対して非難.
- 1月19日 -- NATO司令官ウェズレイ・クラーク将軍,部隊展開準備完了を言明.
- 1月21日 -- ユーゴスラビア政府,ウォーカー特使の残留を容認.
- 1月29日 -- ロンドンにおいて,6ヵ国が会合し,セルビア側およびアルバニア側に対して,2月6日からのフランスにおける和平会談に参加するよう最後通告.
- 2月1日 -- コソボの政治指導者達が和平会談への参加を表明.
- 2月2日 -- コソボ解放軍[KLA]報道官,フランスにおける和平会談にKLAが代表を送ることを表明.
- 2月4日 -- ユーゴスラビア政府,和平交渉への参加を合意.
- 2月6日 -- コソボにおける民族間紛争を終わらせるための話し合いが,交渉団とHubert Vedrine および Robin Cook共同議長主催によって,フランスのランブイユ[Rambouillet]で開始.
- 2月23日 -- セルビア側,アルバニア側がコソボ自治州における広範な自治に関して条件付で合意.アルバニア系住民は原則として政治条項への署名に合意するが,合意を完全に受け入れる前に,帰国しさらに検討を加えることを要望.セルビア側はコソボ自治州にNATO軍を展開させることに対して留保条件を依然として付する.セルビア側,アルバニア側ともに,更なる交渉のために3月15日に再びフランスで会合することに合意.
- 3月15日 --
パリのアルバニア系住民代表が先月のランブイエ会合において提案された自治に合意.クリントン大統領はミロシェヴィッチ大統領に対して,更なる紛争と流血の事態を回避するために,合意するように求める.
- 3月19日 -- セルビア側が合意を拒否したことにより,和平会談が失敗に終わる.これを受けて,国際停戦監視団がコソボから離れる準備を開始.
- 3月22日 -- セルビア側が敵意を煽るために,プリシュティナを攻撃.
- 3月24日 -- NATOのユーゴに対する空爆が,激しさを増し,回数が日ベースとなる.
- 3月29日 -- セルビア側の残忍な行動が報道される中,コソボから多数の難民がアルバニア,マケドニア,モンテネグロに殺到する.
- 4月1日 -- セルビア軍,ユーゴ・マケドニア国境で3人の米兵を捕虜とする.
- 4月6日 -- セルビアが一方的停戦を宣言.NATOはこれを意味が無いとして拒絶,同盟側の要求を全て満たすことを主張し,空爆を継続.
- 4月21日 -- NATOの空爆がベルグラードにおけるミロシェヴィッチのセルビア社会党本部と彼の私邸を攻撃.
- 4月24日 -- ワシントンで開催されたNATOの50周年会議においてコソボ問題が中心議題となる.
- 4月29日 -- ユーゴスラビア政府,NATO10ヵ国を空爆に関して国際司法裁判所に提訴.
- 5月1日 -- クリントン大統領,石油販売禁止と合衆国におけるベルグラードの資産を凍結することを含む合衆国の制裁を延長.
- 5月2日 -- ベルグラードへの米国人権活動家Jesse Jacksonの訪問によって,4月11日以来捕虜となっていた米兵が解放される.
- 5月5日 --
アルバニアでの訓練中に陸軍攻撃用ヘリコプター・アパッチが墜落.2人の陸軍兵がコソボ紛争における合衆国の最初の犠牲者となる.
- 5月7日 -- NATOがベルグラードの中国大使館を誤爆.3人の中国人ジャーナリストが犠牲となる.後に調査を行った同盟側当局は,古い地図を用いた誤爆を非難.
- 5月18日 -- 米国当局がドイツに収監していたユーゴスラビア人捕虜を釈放.5月2日のユーゴスラビアによる3人の米国兵捕虜釈放に応じた模様.
- 5月27日 -- 旧ユーゴスラビア国際犯罪裁判所が5日早くミロシェヴィッチ大統領と他の4人のセルビア人指導者に対して告訴を発表.5人に対する告訴は,人道および戦時法違反に対する罪.
- 6月3日 -- ユーゴスラビア当局がEUおよびロシア使節による和平案を受け入れ.
- 6月7日 -- NATOとユーゴスラビア軍代表による和平会談が,コソボからのセルビア軍の撤退に合意出来なかったことによって,延期.
- 6月9日 -- NATOとユーゴスラビアがコソボからの撤退に関する概略に調印.
- 6月10日 -- 11日間の撤退が開始.NATOのソラナ事務総長,空爆停止を命令.国連安全保障理事会が中国の棄権を除く全会一致でコソボにおける平和的解決の開始を採択.
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