『 享保の改革 』

 「享保の改革といえば、寛政の改革、天保の改革と続く江戸三大改革のうちの最初の構造改革。行ったのは8代将軍徳川吉宗。7代将軍の家継が亡くなったときの幕府の台所事情はかなり厳しいもので、幕臣たちのサラリーに当たる禄米の支給にも困るほど。
 そこで、将軍職を継いだ徳川吉宗は早速改革に取り掛かるのね。」
 「享保の改革を大胆に要約してしまうと引き締め政策の実施だから、当時の評判はあまりいいものとは言えなかったんだよね。」
 「それは仕方がないわね。例えば、年貢は四公六民から五公五民へと引き上げたでしょ、それに凶作であろうと豊作であろうと過去数年間の収穫高を基準にして税率を定めるっていう定免法などは豊作のときは余分に取られないっていうことだけど逆の場合は大変でしょ。」
 「そうだけど、風通しを良くするように、目安箱を設置して、その結果として小石川養生所とか町火消制度を整備したのも、この改革だよね。それに、役職に対して標準石高を決めてめ、標準以下の者がその役職に就任する場合は在職期間のみ不足分を支給するっていう足高の制なんか、比較的合理的な制度として評価できると思うよ。」
 「大名に1万石につき100石の米を幕府に納付させるかわりに、江戸滞在期間を半減させるっていう上げ米の制。これも合理的ね。でも、合理的といったら、刑罰に関して恣意的な運用ではなく、法律に基づいたものを指向した『公事方御定書』の制定が筆頭に挙げられるわね。」
 「倹約令は庶民に負担を強いる内容だから評判は良くなかったけど、吉宗な幕府の財政の立て直しのために倹約策だけを行ったわけではないね。もう一つ忘れてはならないのは、大岡忠相を登用して新田開発を推進したことだね。こうした両輪の政策によって、享保の改革の半ばに差し掛かったころには、100万両の余剰金まで出すようになったといわれているね。」