どうして曼殊院が北野天満宮の別当職を兼務していたのか。
そもそも、ここ曼殊院は伝教大師最澄が比叡山に築いた道場に起源を持つ。その後、天暦年間(947-957)に是算国師が道場を東尾坊として整備。是算国師が菅原家の人であったために、菅原道真を祀る北野天満宮の初代別当職に補された。そして、代々、別当職を受け継ぐことになる。
この是算国師が曼殊院初代とされる。しかし、曼殊院が曼殊院と名乗るのは天仁年間(1108-10)に第8代忠尋大僧正による。
この時、曼殊院は比叡山を降りて北山に別院を建立。
さらに、明暦2(1656)年に第29代良尚親王が、この地に改めて曼殊院を造営した。 |