[新田義貞 千早を発つ]
「何、今、何と申した」
義貞は吾が耳を疑った。賤しくも源氏の血を引くものとて、その源氏の氏の長者たる右大将頼朝公の打ち立てたる、鎌倉幕府を守るとて、わが身を粉にして戦うに、その見返りが何としたことか。
「黒沼彦四郎および出雲親連なるものども、父祖伝来の地にての乱暴・狼藉、眼に余る由。これ以上の賦課には到底、耐えることあたわず」
新田家の所領である世良田は、地味豊かであり、其れゆえに有徳人と呼ばれる多くの豪農達が生計を営んでいた。後醍醐軍が本格的な倒幕活動を展開している今では、幕府としては多くの軍勢を差し向けるためにも、兵糧の確保は大きな課題であった。
そして、幕府は有徳人の多くいる新田領世良田に目を着ける。幸いとも言うべきか、現在、世良田の主である新田義貞は遠く千早の城を囲み激戦を展開していて不在である。
得宗家は、被官黒沼彦四郎と出雲親連を世良田に派遣し、六万貫の課税の負担を迫った。そして、世良田の民の言を聞くまでもなく、その余裕すら与えずに、徹底した収奪に掛かったのである。西に大きな倒幕の勢力あって、幕府にかつての威光の消え失せたとはいえ、天下の得宗の被官達の行いである。新田の陪臣達に主君に無断で逆らう手立てはない。それを、逆手に取った収奪である。
国元からの報告に憤ったことは言うまでもない。
そもそも、新田家は八幡太郎義家の子であり、右大将家に繋がる義親の弟である義国の子の義重を祖とする由緒正しき清和源氏の末裔。右大将を助け、鎌倉を支えてきたとはいえ、平氏である北条得宗家などの命に従うことなど所詮道理に悖る。
「我が館の周りを雑人達の馬蹄の駆けるがままにさせることの何と口惜しいことか」
義貞は怒りを吐き捨てた。
そして、空を仰ぐ。一瞬の緊張感が面前の重臣達の間に走る。
義貞がやおら立ち上がる。心を一にした重臣達も立ち上がる。
野営の地に砂埃が俟った。
「我は、之より病に臥す。病であるからには、千早城を囲んでの戦は到底叶わず。更なる鎌倉殿への奉公の為に、この身を癒さんとて世良田に取って返す」
うち並ぶ諸将の気持ちもまた同じであった。
時勢によりて、今の今までは北条氏やその被官達に頭を垂れてきた。しかし、事ここに至ってなお、たかが北条氏に諾々と従うことがあろうか。
新田は右大将頼朝公と同じく清和源氏なのである。
時は既に定まった。得宗家は自ら墓穴を掘ったのである。幕府はもともとは、右大将頼朝公を推したてて御家人達の連合政権として樹立された経緯を持つ。御家人達の力なくして、その信任なくして存続し得ないのが道理。その当然の道理を見失いたる北条の末裔達の愚かさよ。
義貞はひとりごちた。
「館の者に伝えよ、最早耐えるに及ばず。直に、黒沼某と出雲某を捕縛し、黒沼の首を刎ね、出雲は長浜の家に押し込めよ」
義貞は引き返すことの出来ない道を上野国新田荘へと疾駆した。
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