『 近江令 』 

 「藤原鎌足、大友皇子が中心になって編纂した日本最古の令ね。この制定の背後には皇太弟の大海人皇子と天智天皇の息子で直後に太政大臣になる大友皇子の確執も見え隠れするわ。」
 「大化の改新を行って久しいけど、この当時はまだきっちりとした成文法典もなく国家制度もまだまだ整備されているというには程遠い状況だった。だから、天智天皇は自らが推し進める天皇家中心の中央集権国家をいち早く確立するためにも一刻も早く国家の基本法典を編纂し施行する必要があったわけだ。丁度、明治期において日本が『大日本国憲法』の制定を急いだのと事情が近似するね。」
 「鎌足の伝記としての内容を備える『大織冠伝』とか後の『弘仁格式』などの資料によると、天智天皇は即位前からこの法典編纂事業に着手していて、即位のときには既に22巻を完成させていたとされているわね。この辺りにも天皇の国家建設にかける意気込みというものが感じられる。」
 「天武天皇の『浄御原律令』施行までの間、施行されていたとはされているけど、異論があるね。問題は、内容が後世に全く伝わっていないこと。これでは、なんとも、この法典の性格をうんぬんすることは不可能だ。」
 「『飛鳥浄御原律令』と巻数が全く一致していることから、そもそも存在自体を否定するという見解もあるわ。全部を否定しなくとも、完成はしていなくて、その後、手が加えられて、持統朝で『飛鳥浄御原律令』として施行されたんだという一体化説なんてのもあるわね。」
 「この法典は評価すること自体が大変難しいということにはなんら変わりがないね。」