[公事方御定書]

 享保の改革の一環として、徳川吉宗が命じて老中松平乗邑が担当し、大岡越前守忠相が中心となって編纂した刑事判例集を中心とする基本法典(1742年)。
 『公事方御定書』というのが正式名称だけれども上下二巻からなっていて、特に103条の条文を納める下巻は『御定書百箇条』と通称されている。
 『御定書百箇条』は徳川幕府の蓄積された判例を取りまとめたもの。徳川幕府の法体系は、初期には三河時代の法体系を色濃く遺したものだったし、その三河時代の法体系というのは、取りも直さず分国法に他ならない。
 従って、『御定書百箇条』も徳川幕府中期に編纂されたとはいえ、戦国の分国法の持つ特色を反映したものとなっていた。
 その特色は刑罰の残酷さに現れている。磔、獄門、鋸挽といった惨刑がそれだ。こうしたことは、徳川吉宗が元禄の文治政治から復古して家康以来の武断政治を目指したこととも無縁ではないだろう。
 その一方で、死罪中心主義から遠島、追放、入墨といった刑罰を取り入れたということは評価できる。また、慣習刑法から成文刑法と転換したということも大きな進歩といえる。