千本釈迦堂 正式名称は大報恩寺。歴史は古く、本堂はなんと安貞元(1227)年の建立であり洛中では最古という。そう、京都の町を焼き尽くした応仁の乱でも本堂は焼けなかったのである。これは非常に驚くべきことと言える。何故か。ここ大報恩寺は西陣の只中にあるからだ。つまり、戦闘の中心地であったということになる。それが証拠に大報恩寺の本堂の中にも応仁の乱の際に付けられた戦闘の傷跡がはっきりと残されている。
また、この本堂の手前の両脇には西軍の大将であった山名宗全所縁の堂宇がある。本陣がこの寺の辺りに置かれたのだという話も聞いた。そうした中で、何度も攻め込まれながら、本堂だけは決して焼失しなかったというのは信仰のなせる業なのか。 この釈迦堂は、また、おかめの悲話伝説でも知られている。