槇尾山西明寺(京都)
神護寺を後にして、少し御茶屋で一服。「今年は残念ですなぁ」という会話がタクシーの運転手さんとお店のご主人との間で交わされている。
やはり色づきは昨年(2002年)の鮮やかさに比べると、と言わざるを得ない。
隣の神護寺は空海ゆかりの寺院として知られる。そして、この西明寺もまた空海にゆかりがある。すなわち、空海の高弟・智泉大徳が神護寺の別院として天長9年(832)に開いたのが西明寺。残念ながら、その後荒廃していたが、建治年間(1275-78)に和泉国槇尾山寺の我宝自性上人によって再興された。
神護寺からの独立は後宇多帝より平等心王院の山号を正応3(1290)年に与えられてから。
その伽藍も永禄年間(1558-70)に兵火によって灰燼と化す。しかし、空海の力とも言うべきだろうか。再び、明忍律師により再興される。
なお、本堂は犬公方として知られる第5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院の寄進による元禄年間の再建。
紅葉の時期に限って西側の緩やかな参道が開かれる。その先にひっそりと佇む寺の建物には、このような再建・再興の歴史が折り畳まれている。
古義真言宗。
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