金寳山浄智寺(鎌倉)
鎌倉五山第四位の寺。早世した北條時頼の三男、北條宗政の菩提を弔うために宗政の息子である北條師時を開基とし、兀庵普寧と大休正念、南洲宏海を開山として創建される(1281年)。
一見すると、3人が開山となっているのは不思議なことである。しかし、もともと南洲宏海が開山として迎えられたものの、南洲宏海が任が重いとして辞したために、その師である大休正念が任を継ぎさらにその師である兀庵普寧を開山としたことに起因する。
鎌倉五山の四位であっただけあって当時は11の塔頭寺院を境内に擁したという。今では、その面影はないものの、広大な寺域から当時を偲ぶことが出来る。
一見すると、3人が開山となっているのは不思議なことである。しかし、もともと南洲宏海が開山として迎えられたものの、南洲宏海が任が重いとして辞したために、その師である大休正念が任を継ぎさらにその師である兀庵普寧を開山としたことに起因する。
鎌倉五山の四位であっただけあって当時は11の塔頭寺院を境内に擁したという。今では、その面影はないものの、広大な寺域から当時を偲ぶことが出来る。
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