葛飾区の立石にあって立石の地名の由来になった立石稲荷と号する神体石。
古墳時代に,千葉の鋸山付近から古墳の石室を造る石材として運搬してきたものとされ,奈良時代以降に古代東海道の道しるべとして転用されたと考えられています。
今は,写真のように地面に埋もれてしまっていますが,江戸時代までは地上60センチ以上も露出していたのだとか。
2013/09/07
Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.