一八稲荷

神田多町に鎮座する一八稲荷は,江戸時代初期に,伏見稲荷神社の御分霊を勧請したのが始まりとされます.今は一八稲荷と呼ばれていますが,戦前までは新銀稲荷と呼ばれていたとか.新銀[しんしろがね]というのは旧町名.

ちなみに,一八と書いて「いっぱち」と読みます.一日と八日に縁日が立ったというのが名前の由来.

3代将軍徳川家光が眼病を患った際に,春日局が湧水を汲みに来たことでも知られる一八稲荷は,近くの松尾神社とも関係が深く,戦後の本殿再建の際には御神体を預けたこともあったといいます.


一八稲荷の横の路地

2017/09

Vita brevis, ars longa. Omnia vincit Amor.





















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