太秦に関する佐伯説

明治時代、東京高等師範学校の佐伯好郎教授は「太秦」という地名がイエス・キリストのアラム語、シリア語読み「イシュ・マシャ」に由来すると唱えた。
今日に至るまで異説とされるも、弓月国から朝鮮半島を経て日本に渡ったという伝承を持つ泰氏の泰河勝が建てた太秦の広隆寺が太泰寺と呼ばれていたことは注目に値する。7世紀に唐の太宗皇帝の庇護を受けたキリスト教ネストリウス派(景教)の寺院がローマのシリアという意味の大泰寺と呼ばれた。
この大泰寺と太泰寺とは無関係なのか。