三十三間堂
正式には蓮華法院本堂。長寛2(1164)年に平清盛が後白河法皇のために御所である法住寺に隣接して建立。建長元(1249)年に大火で焼失、文永3(1266)年に後嵯峨帝により再建。湛慶作の熊野権現本地の千手観音坐像のほか多くの立像がある。平安後期に流行した千体御堂で唯一現存するもの。日本固有の建築様式、和様の鎌倉期の貴重な遺構として知られる。身舎(もや)は33間、庇を含めた桁行35間の一重入母屋造、向拝七間。本坊は天台宗門跡寺院の妙法院。
posted by N.Takeuchi :
permanent link
<< Home
Previous Posts
美と歴史
過日録(武蔵村山的日常)
ボッティチェッリ
ウッチェロ
ギベルティ
ロマネスク
ラファエロ前派
フランチェスカ
グイド・レーニ
アルバーニ・フランチェスコ
筆触分割/色彩分割
アンジュー家による移植
<< Home