暗記物は好きだよね。嫌い?
でも、テストの時は、暗記したものを吐き出すように答案に書けばそれでOK。すっきりするっていうもの。その点、考えなくちゃいけないものっていうのは大変。なぜって、折角暗記していっても、まるで駄目ってことがあるからね。
で、ルネサンスの巨匠といったら、ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチと、そしてラファエロでしょ。
もう、パブロフの犬状態。
こうやって覚えているってことは、結構、苦痛に思っていた暗記も、それほど馬鹿にしたもんじゃぁないってことかな。
ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチと、って具合に一区切り置いたのはそれなりに意味があるよ。
ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチっていうと科学的っていうのか、ルネサンスの知識人っていうと、芸術にも科学にも文藝にも優れた、いわば万能の転載を指し示すけど、この2人にはそれがぴったりと似合う。画風もまさに科学的って感じ。科学的で精確であるということは良いのだけれども、そうした科学的なものが人々に安らぎを与えるのかっていうと必ずしもそうではないね。
もっとも、これを読んでいる人の中には、毎日数式を見ないと安心して食事も喉に通らないとか、曖昧なものの言い方に我慢がならないっていう人もいると思う。それはそれで良いじゃぁないのかな。でも、ほっとする絵を書いたっていう形容がしっくりくるのがラファエロだって言えるのじゃない?
で、ラファエロは芸術の町として知られるUrbinoの郊外でオンギャーと生まれているんだ。生まれたときに既に絵筆を持っていたか、あるいはお母さんが胎教を兼ねて絵を描いていたかは分からない。
ラファエロの最初の先生は父親。この時に目覚めんだろうね。う?ん、父親の愛情が息子の才能を開花させたって素晴らしいじゃぁないか。
この父親の偉いところは、それだけじゃぁない。オレの息子はでっかいぞって気付くと、可愛い息子は立たせろってばかりに、Verrocchio や Ghirlandaio と同様に当時の芸術家の傑物と考えられていたPietro Perugino(1478-1523)のもとに送った。
ここで、才能豊かなラファエロは一回りも二回りも皮が剥けるんだね。皮が剥けて大人になるって、そういうこと。
ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチも師匠について勉強したんだけど、この二人は早くから自分の独自のスタイルっていうのを確立していくのに対して、ラファエロの場合は幾分か謙虚な天才だったというべきだろうね。
ラファエロの作品には、先生だったPeruginoの影響がかなり見られるんだ。
どの位影響が見られるかって?
今度、町に美術展がやってきたら見比べてみてよ。
えっ?
二人の絵を並べて見る機会なんてない?
それは分かるよ。ボクだって、片田舎に住んでいるからね。なんていったって、耳を澄ませば、食用蛙のグウァーグァーて、お世辞にも美しいとは言えない合唱が聞こえるんだからね。
おっと、話が横路にそれた。
えーと、ラファエロの作品とPeruginoの作品の類似性の話だった。
まぁ、まったく瓜二つっていうような意味ではないのだけど、Peruginoの作品の幾つかは、それらがラファエロ14歳の頃のものだという証拠が出てくるまでは、Peruginoの作品ではなくラファエロの作品であると考えられていたなんて逸話があるってことで十分でしょ。専門家でそうなんだからね。
でもね、このラファエロ、フィレンツェにも行っているんだ。Peruginoの、オレの弟子は天才ですよって推薦状を携えてね。当時、既に巨匠という名を欲しいままにしていたミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチが現役で活躍していた。普通だと、しぼんじゃうよ、まったく。だって、ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチって本当の天才なんだもの。それに比べたらラファエロは「これからの」天才でしょ。そこで、萎んじゃわなかったのがラファエロの偉いとこでもあるね。どんどん知識を、それこそスポンジのように吸収していく。だからこその天才って言えるね。だって、終には、二人を超えた画風を確立するんだから。
ラファエロはダ・ヴィンチから明暗法(chiaroscuro)などを学び取る。特にお気に入りだったのは「Madonna and Child with St. Anne」っていう作品。
1507年には、「Deposition of Christ」っていう作品を描くためにフィレンツェを去ってローマに赴く。実は、この作品にはミケランジェロの影響が強く滲み出ている。