ミニュアス陶器

紀元前1900年頃にギリシアに興った中期ヘラス文化に見られる、文様を持たない、ロクロで制作された陶器。
この陶器の様式は、後のミケーネなどの古ギリシア陶器へと発展していったと考えられる。
この中期ヘラス文化のミニュアス陶器の出現はギリシア人が北辺からギリシア本土へと進出した証拠とされる。
紀元前2500年頃の初期ヘラス文化第?期、続く第?期の史跡には破壊され炎上した痕跡が色濃く残る。
古代ギリシア人第1波が非ギリシア系原住民の先進的文化と融合することで生み出されたのがミニュアス陶器といえる。

ミュケナイ陶器

抽象化された文様を特長とする陶器の様式。ミュケナイ人による非ギリシア系のクレタ島支配によってクレタ様式が古ギリシアの様式に取り込まれて、ペロポンネソス半島南部で興った様式。
ギリシア人によるクレタ支配は紀元前1400年の先住民蜂起によってクノッソス宮炎上で終焉した後もミュケナイ文明は続く。しかし、トロヤ遠征による疲弊と紀元前1200年頃のギリシア系ドーリア人の南下と海洋民族による波状攻撃といったバルカン半島北部のドナウ河を震源とする民族移動によってミュケナイ様式はミュケナイ文明とともに消えていった。

ティツィアーノ

Tiziano Vecellio(1490頃-1576)。
ベッリーニ工房に学び続いてジョルジョーネと活動を共にする。そして、16世紀ヴェネツィア画壇の筆頭として頭角を顕す。サンタ・マリア・ディ・フラーリ聖堂『聖母被昇天』(1518)は彼のアルカイスズムから盛期ルネサンスへの移行を示し、1540年代のマニエリスムの影響を経て、マニエリスムと対照的な感情性を重視した「魔術的印象主義」と呼ばれる独自様式を確立していった。これにはパトロンとなった神聖ローマ皇帝カール5世、嗣子のスペイン王フェリペ2世の影響があったといえる。