ヴァトー

Jean-Antoine Watteau(1684-1721)。フランスの代表的ロココ様式の画家。
フランスとは言ってもフランドル地方近くの北仏ヴァランシエンヌの生まれ。ヴァラシエンヌはヴァトーが生まれる少し前にフランスに併合されている。
1702年頃に劇場装飾家として知られるクロード・ジロの下で修行。
続いて、1708年にはクロード・オードラン3世の下でアラベスク装飾図案を制作。加えて、リュクサンブール宮殿管理人のオドランの下でルーベンスを学び、アカデミー院長ラ・フォスに見出されてヴェネツィア派の手法を身につけている。
当時、アカデミーの会員になるためにはイタリアへの絵画修行が必須だったが、ヴァトーは例外的にイタリアへ行くことなしに、1712年に準会員という資格が与えられた。
しかも、1717年にはヴァトーは例外的に本人に画題を選ばせて、提出されたロココ美術を代表する名画となった『シテール島への巡礼(Pelerinage a l'isle de Cythere)』を「雅宴画」という新しいジャンルをわざわざ設けてアカデミー正会員に選出された。
それだけ才能があり、将来を嘱望されていた証拠でもある。
しかし、1719年にロンドンへ赴いた際に結核が悪化。翌年に帰国し、最後の作品『ジェルサンの看板』を制作して短い人生の幕を降ろした。