列強の中国侵出
1840年
アヘン戦争(1840-42)1851年
太平天国の乱(1851-64)1856年
アロー戦争(1856-60)1858年
アイグン条約締結1860年
北京条約締結。この条約により中国国内でのキリスト教の布教が容認される。しかし、各地でキリスト教宣教師と民衆との間で紛争が続発。民衆は地方官憲を巻き込んで仇教運動を展開。
1884年
清仏戦争(1884-85)1894年
日清戦争(1894-1895)1898年
日清戦争の敗北を受けて知識階層が改革に乗り出す。公羊学派の康有為、梁啓超らが光緒帝に立憲君主体制を進言し変法自強運動を開始。危機感を募らせた保守派が西太后を擁して戌戌(ぼじゅつ)の政変を成功させ改革派を掃討。
1900年
義和団事件(1900-01)。山東の義和団が扶清撲洋をスローガンに排外運動。北京や天津など都市部への運動拡大を好機と捉えた保守派が列強各国に宣戦布告。しかし、列強8国の共同出兵によって北京が占領されたことで収束。