山城国乙訓郡菱川村[京都市伏見区羽束師菱川町]を発祥の地とする.室町時代には足利将軍直轄軍であった鶏冠井・物集女・神足・野瀬・中小路・革嶋・小野・竹田・野田・築山らの西岡被官衆の館が営まれ場所.神川中学校西側の字本郷の地には菱川城があったことが知られる.
菱川荘は摂関家領であった地であり,近世には江戸幕府領・六条家領・南禅寺領・本圀寺領・堀川家領となった.正保村高帳によると777石余,元禄・天保郷帳によると799石余とされる.
寛保3[1734]年時点の戸数は41,うち高持37軒.総人数216人.庄屋などの村役人は世襲ではなく,南・和巻・黒川・金谷・中村・三輪の各家から出したという.
福井県鯖江市下野田町,越前市高森町,愛知県江南市般若町宮山,一宮市森本・高田郷廻りにあり.
デザイン名字.