出自 | 多治比氏>勅使河原氏>加治氏 |
発祥地 | 武蔵国高麗郡中山[埼玉県飯能市中山] |
分布 | |
備考 | 水戸藩附家老家として知られる中山家は現在の埼玉県飯能市が発祥の地.中山氏は武蔵七党の一つ丹党の加治氏の一族. 一族の加治氏と同様に山内上杉氏に属していたが,川越夜戦によって山内上杉氏・扇谷上杉氏が敗れると北条氏康に属するようになった. 中山家範は八王子城主の北条氏照に属し八王子城に詰める身に. 1580[天正18]年の豊臣秀吉による小田原征伐時にも,城代の横地監物,そして,狩野一庵,大石信濃守,金子家重,近藤助実らとともに八王子城を守備.この攻城戦で中山家範は討死.子の照守は八王子城ではなく小田原城にあったために死を免れている.北条氏が滅亡すると,中山照守は故郷の加治に戻った. その後,八王子城でにおける中山家範の戦いぶりに感銘を受けた徳川家康が中山照守・信吉兄弟を家臣として召し出すこととなる. |
関連氏族 |