藤原南家→乙麻呂流
852[仁寿8]年,藤原為憲が木工助という官職に基づいて「工藤大夫」を称したのが始まり.藤原為憲は平将門に敗れたものの,平将門が承平天慶の乱を引き起こすと藤原秀郷および従兄弟の平貞盛とともに平将門を追討.平将門に囚われていた父・維幾を救出した.この戦功により,藤原為憲は従五位下木工助に任ぜられ,伊豆国・駿河国・甲斐国・遠江国の権守を歴任することとなる.
為憲の孫・駿河守維景[Korekage]は伊豆国狩野に本拠地を移し,その子・維職[Koremoto]は伊豆押領使となっている.
工藤氏は伊豆国だけではなく,周辺の駿河国・甲斐国へと拡がっていった.
伊豆に残った工藤氏はそれぞれが本拠とした地名をとって,鮫島氏・狩野氏・伊東氏・河津氏を名乗るようになった.
鮫島氏・狩野氏・伊東氏・河津氏・二階堂氏・長野工藤氏