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発祥地 | 越後国刈羽郡新道村[新潟県柏崎市新道] |
分布 | |
備考 | 新潟県の柏崎市の中心部は高田藩領だった.しかし,越前松平家が越後騒動により改易されると1681[延宝9]年から幕府領となった.1710[宝永7]年に久松松平定重[1644-1717]が野村増左衛門と一族を処刑したことが幕府の不興を買い,伊予国松山藩から越後国高田藩へと移封される.第3代藩主・久松松平定輝は徳川吉宗による享保の改革による幕府領内の頸城騒動を鎮圧したものの,領民の怨嗟は激しく,第5代藩主・久松松平定賢の代に陸奥国白河藩へと移封された. 久松松平家が陸奥白河に去っても柏崎は久松松平家の領地のままとされた.これは久松松平家が桑名藩の藩主として返り咲いた後も同じだった. 柏崎市新道は旧刈羽郡新道村と呼ばれていたが,この新道村の庄屋を務めたのが飯塚家. 柏崎米穀取引所理事の飯塚弥一郎,その子で柏崎銀行頭取を務めた飯塚知信が知られる.柏崎瓦斯の創設に尽力した人物に飯塚謙三がいる.飯塚謙三は日本石油会社の創業者である内藤久寛に飯塚弥一郎邸で会い影響を受けている.ガス事業の経営を勧めたのも内藤久寛.飯塚謙三は内藤久寛,二宮傳右エ門,丸田尚一郎,野口善平らの柏崎有力者の助力を得て,二宮傳右エ門を社長,自身を専務,取締役に飯塚知信,丸田尚一郎,野口善平を迎えて柏崎瓦斯を創業した. 北海道の野幌を開拓した関矢孫左衛門も飯塚一族. 新道村・大河内新田・貝淵村・黒滝村は1889[明治22]年に合併し日高村となる.さらに,1901[明治34]年に刈羽郡豊田村と合併し高田村に.高田村は1955[昭和30]年に柏崎市に編入. |
関連氏族 | 関矢家 |