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発祥地 | 越後国中蒲原郡蒲原横越組[新潟県新潟市江南区横越] |
分布 | |
備考 | 小林家とともに元文年間[1736-41]の蒲原横越組大庄屋を交代で務めた家柄. 江戸時代後期の国学者・鈴木重胤の門人となった建部尚行が知られている.建部尚行の子・道之助が家を継がなかったために,大面組大庄屋の諸橋家から慶三郎を婿養子として迎え建部蔵軒として建部家を継がせた.なお,『大漢和辞典』の著者の諸橋轍次は,この諸橋家の出身. 蒲原横越組大庄屋は新発田藩横越島約1万石113ヶ村を支配した. 横越にある館ノ越は中世城館があった場所とされ古くから開発が進んでいたと考えられている.1598[慶長3]年以降は新発田藩の支配するところとなり御領内高付帳には横越嶋村と記されている.横越島組とも呼ばれ,1737[元文2]年には蒲原組と合併し蒲原横越組となった. |
関連氏族 | 諸橋氏 |