出自 | 嵯峨源氏>渡辺氏 |
発祥地 | 越後国刈羽郡赤田保[新潟県刈羽郡刈羽村赤田町方] |
分布 | |
備考 | 渡辺綱の子孫である恒が1228[暦仁元]年に越後国三島郡赤田保の地頭に任じられ,恒の子の等が赤田兵衛尉を名乗ったことが起源と伝わる. あるいは,応が赤田保の地頭に任ぜられ,その孫の備が赤田を名乗ったとも言われる. 等の子の備は越後国から近江国に移った. 赤田渡辺氏のうち,越後国に残った一族は,赤田町方に赤田古城を築城したとされる. しかし,1461[寛正2]年に赤田の東福院を斎藤下野守が建立しており,その頃までには赤田は赤田渡辺氏から斎藤氏の支配するところになったと考えられる.斎藤氏は赤田城に拠り,上杉氏の重臣として活躍していく. |
関連氏族 | 渡辺氏 |