出自 | |
発祥地 | |
分布 | 糸魚川市 |
備考 | 糸魚川の過ぎたる物として「豆腐・玄白・稚児の舞」と言われるほどの名医の家柄が相沢玄白家. 1624年に,越前北ノ荘藩主・松平忠直の長男にして結城秀康の孫である松平光長が福井から越後高田藩主として入ったことに伴って越後入りしたと伝わる. そもそも,松平光長の父の松平忠直は祖父の第2代将軍徳川秀忠と折り合いが悪く改易となり豊後に配流となった.代わりに,忠直の次弟で越後高田藩主であった松平忠昌が越前北ノ荘に入る.この時に,筆頭家老にして附家老でもあった本多富正が松平忠直の家臣の中から「武辺者の家臣105騎」を選抜して松平忠昌の家臣団に加える.小栗美作守・岡島壱岐守・本多七左衛門を含めて残りの400騎近くが松平光長とともに越後入りした. 相沢玄白もこの時に旧越前北ノ荘家臣団とともに越後入りしたのであろう. |
関連氏族 |