白倉 Shirakura

出自 Roots

武蔵七党の一つ児玉党.

秩父行弘の子・成季が上野国甘楽郡白倉を本拠地として白倉を名乗ったのが起源.白倉成季は承久の乱[1221]において討ち死にしている.

発祥地 Cradle Land

上野国甘楽郡白倉[群馬県甘楽郡甘楽町白倉].

備考 Supplementary Remarks

小幡氏・安中氏・倉賀野氏・桐生氏・由良氏・山上氏・沼田氏とともに上州八家の一つとして数えられる.

初代の白倉成季が承久の乱[1221]において討ち死にすると,独力で家を保つことが難しくなり,山内上杉氏の家臣となった.

白倉重佐は関東管領・上杉憲政に仕え,長尾氏・大石氏・小幡氏と並んで関東管領山内上杉氏の四宿老となる.白倉重佐の子・道佐は上杉憲政および上杉謙信に仕えた.

しかし,武田信玄が箕輪城を攻めると城主の長野氏とともに抗戦するも耐えきれず,1563[永禄6]年に武田信玄の軍門に下ることとなる.武田信玄配下では,高山氏・多比良氏・木部氏・倉賀野氏・後閑氏・長根氏らとともに内藤昌秀率いる内藤相備組衆に.

白倉道佐は北条氏との戦いで1580[天正8]年に討ち死に.その跡を白倉重家が継いだ.白倉重家は武田勝頼に仕えたが,武田氏は1582[天正10]年に織田信長による甲州征伐で滅亡.その後は,織田信長配下の滝川一益に従った.同年,織田信長が本能寺にて明智光秀によって死に追いやられると,北条氏直が滝川一益の守る上野国に侵攻.滝川一益と北条軍との神流川の戦いでは白倉重家は滝川軍として戦い,そして,敗れた.敗れた滝川一益は上野国を去り,残された白倉重家は北条氏直に従うこととなる.

時は流れ,1590[天正18]年に豊臣秀吉が小田原征伐に乗り出すと,白倉重家は弟の重高を白倉城の守将として置き,自らは北条氏の本拠地である小田原城に立て籠もった.豊臣秀吉によって北条氏が降されると,白倉氏の命運も尽き所領を失うこととなった.

分布 Distribution

新潟県,長野県,山梨県に多い.

関連氏族 Cognate Clans

児玉氏,庄氏,本庄氏,浅羽氏,阿佐美氏,新生氏,新屋氏,泉氏,榊氏,稲島氏,入西氏,岩田氏,伊勢氏,今井氏,浦上氏,上野氏,大河原氏,大沢氏,大塚氏,大類氏,大淵氏,大浜氏,奥氏,奥平氏,奥塚氏,岡崎氏,小幡氏,小河原氏,小見野氏,片山氏,金沢氏,柏島氏,桂氏,柏崎氏,北氏,黒岩氏,栗栖氏,粟生田氏,倉賀野氏,久下塚氏,具下塚氏,後閑氏,小代氏,小中山氏,狛馮氏,塩谷氏,島名氏,島方氏,白倉氏,薦田氏,小茂田氏,荏氏,荏戸内氏,白倉氏,越生氏,島名氏,高雄氏,高山氏,多子氏,竹沢氏,立川氏,端氏,秩父氏,富田氏,富野氏,豊島氏,鳥方氏,吉麻野氏,直下氏,中条氏,長岫氏,長岡氏,鳴瀬氏,名倉氏,内藤氏,西氏,丹羽氏,福田氏,保尾氏,堀篭氏,蛭川氏,牧野氏,真下氏,宮田氏,溝上氏,御名氏,武者氏,牧西氏,矢島氏,山田氏,山越氏,山名氏,人良氏,矢島氏,善泉氏,吉島氏,吉田氏,与島氏,四方田氏

安倍[安倍玄的家] Abe 白倉 Shirakura 匝瑳 Sousa 椙原 Sugihara 杉浦 Sugiura 助川 Sukegawa