出自 | 藤原北家>藤原魚名>藤原秀郷 |
発祥地 | 陸奥国信夫郡飯坂村[福島県福島市飯坂町] |
分布 | 全国各地 |
備考 | 藤原秀郷の流れは,千常,文脩[Fuminaga],文行,公光と続く.藤原公光の子・公清は佐渡守に任ぜられ,佐藤氏を称したのが起源.なお,藤原公光も『小右記』には前佐渡守とされている. 源義経の従者佐藤継信・忠信の父で陸奥国信夫郡の大鳥城主であった佐藤基治は,この藤原秀郷の流れを汲む佐藤氏と言われる.この佐藤氏は飯坂温泉周辺を所領としていたため信夫荘司・湯荘司とも呼ばれた.そのため,この系統の佐藤氏は信夫佐藤氏とも言われる. 佐藤基治の妻は奥州藤原氏の藤原清衡の孫という関係から佐藤氏は源頼朝による奥州征伐の際は,佐藤元治は奥州藤原氏側に立って戦った. 奥州藤原氏の滅亡後も佐藤氏は許されて信夫郡に留まった.しかし,南北朝時代になると東北はもとより甲斐・尾張・伊勢へと移住.そこから西国,九州へと拡がっていった. 1889年4月1日,信夫郡上飯坂村が信夫郡飯坂町となる.1964年1月1日,飯坂町は福島市に編入. |
関連氏族 | 寒河江佐藤氏,置賜佐藤氏,常陸佐藤氏,阿波佐藤氏,美濃佐藤氏,紀伊佐藤氏 |