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多賀谷家

武蔵七党野与党の一族.道智頼基の子・光基を祖とする.武蔵国埼玉郡騎西庄多賀谷郷の地頭職を務めた.現在の加須市内田ケ谷の大福寺に館を構えていたとされる.建久元[1190]年の源頼朝の上洛時に多加谷小三郎の名がある.寛正年間[1460-1466]頃に多賀谷家氏が下妻に移った.

【歴代】
代数当主・藩主備考
-多賀谷政経常陸国下妻城主
-多賀谷重経常陸国下妻城主→関ヶ原の戦いで上杉景勝に与して改易.
-多賀谷三経結城秀康に従ったために,父・多賀谷政経より廃嫡.
太田城主→越前国柿原領主

多賀谷重経は結城氏と佐竹氏に両属.しかし,小田原征伐後に豊臣秀吉の命令によって結城秀康の家臣とされた.これを不服として,嫡男・三経を追放.佐竹義重の四男・宣家を養子として家督を譲った.改易後,多賀谷宣家は佐竹家に戻り,岩城家を相続.岩城宣隆として出羽国亀田藩主となった.

一方の多賀谷三経は結城秀康に重用され福井藩の重臣となった.

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