陸奥国糠部郡種市.旧岩手県九戸郡種市町,現在の九戸郡洋野町種市.
種市城を本拠地とした種市中務が知られている.『斗賀観音御縁起』によると,そもそも,種市という地名は南部一族の一戸彦太郎行朝の四男図書光房を祖とする種市六郎兼高が自らの名字をもとに名付けたという.種市中務は南部晴政[1517-1582]より種市村・蛇口村[軽米]の所領安堵を受けている.
九戸政実の乱[1591]においては一族の種市伝左衛門が九戸政実に与して九戸城の籠城に加わっているが,本家である種市中務光徳は南部信直[1546-1599]に仕え九戸城を攻略している.
種市中務光徳は岩崎城攻めにおいても一番備の中に「六百石 種市中務 十八人持ち」との記載がある.岩崎城攻めは,豊臣秀吉の奥州仕置によって所領を没収され改易された陸奥国和賀郡の国人領主・和賀忠親[1576-1601]が,伊達政宗の支援のもとで,居城であった岩崎城を中心として南部軍と戦ったもの.
天正20[1592]年の豊臣秀吉による諸城破却令によって南部信直は領内12城以外の城を破却.種市城を含む36城は,この時に破却の運命となった.
種市中務の正室は八戸弾正少弼政義の一族である新田左馬助政盛の娘.
種市氏は陸奥国盛岡藩2代藩主・南部重直[1606-1664]の代の種市孫三郎の時に罪を得て断絶したと伝わる.
種市中務の子・吉廣は蛇口蔵人を称し蛇口氏の祖となった.
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