陸奥弘前藩2代藩主・津軽信枚[1586-1631]と徳川家康の異父弟・下総関宿藩主久松松平康元の娘・満天姫との間に生まれた津軽信英[1620-1662]を祖とする.
兄の津軽3代藩主・津軽信義の死去に伴い,幕府から津軽藩に対して津軽信義の子の信政は信英の補佐を受け,信英に5000石を分知することが求められた.
ここに,津軽信英は別家を立てて大身旗本となる.
弘前藩9代藩主・津軽寧親と杉浦正勝の娘・福姫との間に生まれる.17歳で死去.
上総国久留里藩主・黒田直亨の四男.本多正矩の子で,黒田直邦の5女・三千子と結婚して黒田家を継承した上総久留里藩初代藩主・黒田直純[1705-1776]の娘が黒石津軽著高と結婚.その間に生まれたのが黒石津軽寧親[1765-1833].
この関係から,黒田直亨[1729-1784]の子・安彦が黒石津軽寧親の子の黒石津軽典暁の養嗣子として黒石津軽家を承継.
弘前藩主であった津軽寧親によって加増を受け1万石で黒石藩を立藩.
三河国吉田藩3代藩主・大河内松平信明の三男.
Copyright (C) 2020 All right reserved by digistats
Copyright (C) 2001-2004 All right reserved by CGI KON