美と歴史 トップ
 アルファベット別索引
 過日録
 

[古代ローマ(共和政末期から帝政初期)]
ローマはラテン族の一部をロムルスが率いてティベル川流域に建国(伝753B.C.)。当時、イタリア半島中部はエトルリア人が覇権を握っていた。また、南部や海岸部はギリシアのポリス諸国の殖民都市が本国以上に隆盛を誇り、大ギリシアと呼ばれていた。
独立していたとはいえ、ローマはエトルリア人に囲まれていた関係で、王政を採っていたローマではエトルリア系の王が擁立されていた。
紀元前510年に、エトルリア系の王族を追放し王政を廃止。独裁を防ぐために任期1年という執政官2人が統治する政体に移行。

*元老院(貴族[パトリキ]):2人の執政官を選出
*平民[プレブス]:平民会

[初期共和政]
○494 B.C. :平民の不満爆発--->護民官設置
○450 B.C. - 449 :貴族が独占していた慣習法を12表法として成文化
○367 B.C :2名の執政官のうち1名を平民会で選出するリキニウス・セクスティウス法制定

[中期共和政] ===> 漆喰装飾様式(ポンペイ第1様式)
○364 B.C. :イタリア半島統一へ
○287 B.C. :平民会の議決が元老院の承認なしに国法とするホルテンシウス法成立
○272 B.C. :イタリア半島統一

○264 B.C. - 241:第一次ポエニ戦争:地中海経済を巡ってカルタゴと戦う。ローマの勝利に終わり、シチリア島を属州化。

○218 B.C. - 201:第二次ポエニ戦争
*カンネーの戦い(216B.C.):カルタゴのハンニバル将軍がアルプスを越えて侵攻
*ザマの戦い(202B.C.):ローマのスキピオが反撃し停戦へ

○149 B.C. - 146:第三次ポエニ戦争:商業国家カルタゴ滅亡

↓ローマ市民の中小農民の没落とラティフンディア(大所領)発展

ローマへ属州民が流入し社会が不安定化


○133 B.C. - 122 :グラクス兄弟による改革:土地所有面積の制限による中小農民の保護を目指すが失敗。

[後期共和制] ===> 建築装飾様式(ポンペイ第2様式)
○107 B.C. - 104 :民衆派の執政官マリウスが無産市民を軍事組織化
○83 B.C. - 79 :閥族派の独裁官スラが元老院の権限を強化を目指す

社会不安を背景とした市民派と閥族派との間の闘争激化

○73 B.C. - 71 :スパルタクスの叛乱:奴隷による叛乱。クラッスス将軍が平定。
○64 B.C.:セレウコス朝シリアを併呑し属州化
○60 B.C.:第一回三頭政治:閥族派のポンペイウス、平民派のカエサル、軍人のクラッススによる政治の開始

○59 B.C.:カエサルが執政官就任
○58 B.C.-51:カエサルがガリア地方を征服
○48 B.C.:カエサルとポンペイウスによる内乱始まる。翌年、ポンペイウス敗れる。

○45 B.C.カエサルが終身独裁官に就任。翌年、ブルートゥスによって暗殺。

○43 B.C.:第二回三頭政治:カエサルの養子のオクタヴィアヌス、レピドゥス、カエサル配下のアントニウスによる共同統治
○36 B.C.:レピドゥス失脚
○31 B.C.:アクティウムの海戦:アントニウスがプトレマイオス朝エジプト女王クレオパトラと組んでオクタヴィアヌスに挑むが翌年敗れる


[元首政(プリンキパトゥス)]
○27 B.C.:元老院がオクタヴィアヌスに尊厳者を意味するアウグストゥスの称号と属州の半分の統治権を付与。

===> ネオ・アッティカ様式
===> 華麗装飾様式(ポンペイ第3様式)

*歴代皇帝
・ティベリウス
・カリグラ
・クラウディウス
・ネロ
・ウェスパシアヌス
・ティトゥス
・ドミティアヌス

*五賢帝時代 96 - 180
・ネルヴァ(位96-98)
・トラヤヌス(位98-117):ローマ帝国の領土が最大に
・ハドリアヌス(位117-138)
・アントニヌス・ピウス(位138-161)
・マルクス・アウレリウス・アントニヌス(位161-180)